東京高等裁判所 平成元年(行ケ)28号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の当否を検討する。
1 成立に争いない甲第三号証(本願発明の特許出願公告公報)によれば、本願発明は左記のような技術的課題(目的)、構成及び作用効果を有するものと認められる(別紙図面一参照)。
(一) 技術的課題(目的)
本願発明は、冷媒圧縮機の回転数を制御してその容量を制御する、冷凍機の制御装置に関する(第一欄第一七行及び第一八行)。
従来技術として、冷凍機の起動時における騒音を低減するために冷媒圧縮機を一定時間低速回転するものがあるが、低速回転では冷媒圧縮機の吸入及び吐出冷媒量が少ないから冷却能力が低く、立上がり特性も劣悪である。そこで、立上がり特性を良好にするために、冷凍機の起動時は冷媒圧縮機を高速回転するものもあるが、起動時は摺動面の潤滑状態が悪いから、起動時の高速回転は冷媒圧縮機の寿命を縮める。すなわち、冷媒圧縮機の停止時は冷媒が潤滑油に溶け込むので、潤滑油は希釈され粘度が著しく低下するが、この現象は摺動面の潤滑油についても同様に生ずる。このような状態で高速回転すると、粘度の低い潤滑油が摺動面に供給されるため油膜が形成され難く、また、摺動面の摩擦による発熱によつて潤滑油が加熱され潤滑油に溶け込んでいる冷媒が蒸発して摺動面の油圧が低下する結果、摺動面は一時的に境界潤滑状態となつて寿命に限界が出てくるのである(第一欄第二三行ないし第二欄第二一行)。
本願発明の目的は、冷凍機の起動時に冷媒圧縮機の摺動部の潤滑を良好にすると共に、冷凍機の立上がりを良好にする制御装置を提供することに存する(第一欄第一九行ないし第二二行)。
(二) 構成
右課題を解決するために、本願発明はその要旨とする構成を採用したものである(第一欄第一行ないし第一五行、第二欄第二二行ないし第二三行)。
第1図の実施例によつてこれを説明すると、1は冷媒圧縮機で、電源周波数を変化させることによつて圧縮機の回転数を制御するものであり、冷媒圧縮機1から吐出された冷媒は凝縮器2において液化凝縮され、減圧膨脹器3において減圧膨脹し、蒸発器4において蒸発し、被冷却物質Aから吸熱した後、冷媒圧縮機1に吸入される(第二欄第二三行ないし第三欄第四行)。
5が冷媒圧縮機1の回転数を制御する制御装置であつて、一次電源である商用電源6を整流回路部7により整流して直流電源に変換し、この直流電源をチヨツパ回路部8によつて電圧調節し、ブリツジインバータ回路部9において右直流電圧に相当する周波数の矩形三相電源に逆変換した上、配線14によつて冷媒圧縮機1に供給するのである(第三欄第五行ないし第一一行)。
冷媒圧縮機1の回転数の制御は、速度信号部10の信号により、チヨツパ回路部8を制御して直流電圧を制御し周波数を変化させて行う。すなわち、被冷却物質Aの温度を検知器11によつて検知し、検出器12が右検知した値と設定温度との温度差を検出し温度差に基づく信号を速度信号部10に送ることによつて、冷媒圧縮機1の回転数を制御する。換言すれば、被冷却物質Aの冷却負荷に対応した検出器12の信号を速度信号部10に入力し、この信号に対応した回転速度信号をチヨツパ回路部8に出力して、冷媒圧縮機1の容量を制御するのである(第三欄第一一行ないし第二四行)。
以上とは別に、起動制御回路13を設け、冷媒圧縮機1の起動時の所定時間は、起動制御回路13によつて速度信号部10を制御する優先回路が設けられる(第三欄第二五行ないし第二八行)。
第2図は速度信号部10の詳細回路図であつて、これにより起動制御回路13の優先回路を説明すると、速度信号部10は、
a 検出器12からの信号を入力し、これに対応する速度信号を出力する、速度信号回路15
b 速度信号回路15からの信号、及び、起動制御回路13からの信号を入力し、通常運転時には速度信号回路15からの信号に基づく回転速度信号をチヨツパ回路部8に出力するが、タイマ回路17の作動時には起動制御回路13からの信号に基づく回転速度信号をチヨツパ回路部8に出力する、優先制御回路16
c 冷媒圧縮機1の起動時の所定時間(すなわち、冷媒圧縮機1が起動し、冷凍機の温度及び冷媒圧力が適当な値になるまでの時間)をカウントして、優先制御回路16に出力する、タイマ回路17
によつて構成される(第三欄第二九行ないし第四欄第一行)。
そして、速度信号回路15からの最初の信号(又は特定の信号)を起動信号とみなし、この起動信号が優先制御回路16に入力された時、優先制御回路16から起動制御回路13及びタイマ回路17へ起動信号が出力される。起動信号が入力されると、起動制御回路13が冷媒圧縮機1の回転速度を決定する信号を回転速度が低い順に出力すると共に、タイマ回路17は時間のカウントを開始する。したがつて、冷媒圧縮機1の起動時にはタイマ回路17が作動し、タイマ回路17の作動中は、優先制御回路16から出力される信号は起動制御回路13からの信号に基づく信号となつて、冷媒圧縮機1の回転速度は徐々にその速度を上昇する。冷媒圧縮機1の起動から所定時間が経過すると、タイマ回路17が優先制御回路16へ所定時間経過の信号を出力するので、優先制御回路16から出力される信号は速度信号回路15からの信号に基づく信号となり、冷媒圧縮機1の回転速度は検出器12からの信号に対応した速度となるのである(第四欄第二行ないし第二〇行)。
第3図は、起動時における冷媒圧縮機1の回転数制御を説明するものであつて、横軸は起動からの時間、縦軸は冷媒圧縮機1の回転速度を示す。冷媒圧縮機1は、起動時は起動制御回路13からの信号によつてSoの回転速度で起動し、その後もT1時までは時間の経過と共に回転速度を上昇させるが、この間に冷媒圧縮機1の摺動部における潤滑油に溶解している冷媒は、摺動部の発熱によりガス化されて潤滑油から気化する(この間は、回転が低速であるのみならず、冷媒圧縮機1の高圧側と低圧側の圧力差が小さく摺動部における負荷荷重も低いため、摺動部の損傷は避けられる。)。潤滑油から冷媒が気化するに伴つて潤滑油の粘度が上昇し、高速回転であつても良好な潤滑が行われるようになると共に、冷媒圧縮機1の回転速度が増速され、冷媒圧縮機1に吸入され吐出される冷媒が多くなる(すなわち、吸入圧力が低下し、吐出圧力は上昇する)ので、蒸発器4において吸熱される熱量が増大して、冷凍機の立上がりが早くなる(第四欄第二四行ないし第四四行)。
このように、冷凍機の温度及び冷媒圧力が適当な値に達する時間T1までは起動制御回路13によつて制御されて、回転速度はS1に達する。その後は、タイマ回路17からの所定時間経過の信号によつて、(起動制御回路13による制御が外れ)優先制御回路16から出力される信号は速度信号回路15からの信号に基づく信号となり、以降は、被冷却物質Aの温度を検知し、これと設定温度との温度差を検出する検出器12によつて速度信号部10が制御されて、冷媒圧縮機1の回転速度を制御することになる。すなわち、被冷却物質Aの温度と設定温度との温度差が大きければ、回転速度を曲線ⅡのようにS1より増速することによつて冷媒圧縮機1の容量を上昇させ、冷凍機の冷却能力を負荷に対応したものにする。一方、被冷却物質Aの温度と設定温度との温度差が小さければ、回転速度を曲線Ⅲのように低下させて冷凍機の冷却能力を負荷に対応したものにとどめる(第四欄第四四行ないし第五欄第一六行)。
(三) 作用効果
本願発明の制御装置は、冷凍機の起動時に、圧縮機を瞬時に高速回転させることを避け、回転速度を所定の加速度で徐々に上げることにより、潤滑油に溶解している冷媒を蒸発させ潤滑油の粘度を適当な値に上昇させて、圧縮機の摺動部が高速回転に十分耐え得る状態にすることができる。すなわち、高速回転が可能になるまでの間は、漸次回転数を上げて、急激な高速回転による軸受けなど摺動部の潤滑状態の悪化(潤滑油切れ等)を防止して、圧縮機の信頼性を確保するものである。そして、回転速度が上がるに伴つて圧縮機の容量は大きくなるが、回転速度の上昇スピード(加速度)を所定の値に選定することによつて、立上がり特性の良好な冷凍機とすることが可能である(第七欄第二四行ないし第八欄第一四行)。
2 右のとおり、本願発明は、「冷凍機の起動時に冷媒圧縮機の摺動部の潤滑を良好にすると共に、冷凍機の立上がりを良好にする」ことを技術課題としている。しかしながら、本願発明の冷凍機の立上がり特性はその起動制御回路が有する複数個の回転速度信号をどのように設定するかに依拠することは明らかであるところ、本願発明は、起動制御回路が有する複数個の回転速度信号をどのように設定するかを発明の要旨としていない。したがつて、前記の技術的課題が意味するところは、本願発明の構成自体が直ちに「冷凍機の立上がりを良好にする」作用効果を奏するというのではなく(このことは、本願公報(前掲甲第三号証)第六欄第四一行ないし第七欄第一行に、「第3図(中略)において起動後、時間T1まで、時間の経過に比例して直線的に回転速度を上昇、すなわち加速度一定にしたが、時間と共に増速速度すなわち加速度を変えるなど、回転速度を所定の値で上昇させた制御回路でもよい。」と記載されていることからも明らかである。)、「冷凍機の起動時に冷媒圧縮機の摺動部の潤滑を良好にする」ことが、ひいては「冷凍機の立上がりを良好にする」結果をもたらすというにあると解するのが相当である。したがつて、本願発明の技術的課題は「起動時に冷媒圧縮機の摺動部の潤滑を良好にする」ことに収斂されるということができる。
3 一方、引用例に審決認定の技術的事項が記載されていることは原告も認めて争わないところであるが、成立に争いない甲第四号証(引用例)によつてその技術内容を更に敷衍すれば、引用例は「エアコンデイシヨニング・システムにおける圧縮機の可変速インバータ駆動」と題する論文であつて、その「インバータ制御システムの起動」の項の概要は、誘導モータを全電圧で起動すると過重な電流のインラツシユを生ずるので、給電接続の容量や分配系の強度を大きくしておく必要があるが(第六三頁第三五行ないし第三七行)、インバータ駆動ならば、定格(全負荷)周波数の約五%の周波数の低電圧で起動することによつて電流のインラツシユを防止でき、低周波数における定格運転に達した後は、インバータ論理系が周波数と電圧とを徐々に上昇させて所望の運転速度を得るというものであつて、「定格モータ速度及びスリップに達するために必要とされる慣性エネルギは低いから、起動は瞬間的である」ことも記載されている(同頁第三九行ないし第四二行)。また、別紙図面二は、「冷媒制御システム」の項に掲げられているものである。
4 そうすると、引用例記載の技術的事項において、モータが低周波数における定格運転に達した後の「周波数と電圧とを徐々に上昇させて所望の運転速度を得る」点は、本願発明の構成と同一の技術的事項といい得るが(ただし、採用されている具体的構成は、後記のとおり異なるものである。)、引用例記載の技術的事項が課題とするモータの起動時に瞬間的に生ずる電流のインラツシユの防止は本願発明の技術的課題とされておらず、半面、本願発明が技術的課題とする冷凍機の起動時に冷媒圧縮機の摺動部の潤滑を良好にするとの点は引用例には全く記載されていないことになる。したがつて、引用例に記載されている技術的事項に基づいて本願発明の技術的課題を予測することは、当業者であつても直ちに容易であつたとすることはできない。
この点について、審決は、引用例記載の技術的事項が本願発明と着目点を異にすることを認定しながら、奏される作用効果が同一であるから着目点の相違は格別のものでない(換言すれば、本願発明の技術的課題は格別のものでない)かのような説示をしていることは前記のとおりである。確かに、引用例記載の技術的事項において「周波数と電圧とを徐々に上昇させて所望の運転速度を得る」点は、前記のように本願発明の構成と同一の技術的事項を指向するものといい得るが、引用例記載の技術的事項が具体的に採用している構成が本願発明が起動制御回路として採用している構成と明確に異なることは後記のとおりであり、したがつて、両者が具体的に奏し得る作用効果には実質的な相違があると考えるべきであるから、審決の右判断は失当である。
もつとも、被告が援用する昭和五〇年特許出願公開第一四八九一五号公報(乙第一号証)及び内田秀雄編集「冷凍機械工学ハンドブツク」(株式会社朝倉書店昭和四〇年一月三〇日発行。乙第二号証)第三二四頁第二三行ないし第三三行によれば、冷媒圧縮機の停止時は冷媒が潤滑油の溶け込み潤滑油が希釈されて粘度が低下することによる弊害は、本件出願前の周知事項であつたと認められる。しかしながら、これらの刊行物に示されている右弊害の解決手段は、起動時のある時間に冷媒圧縮機を高速運転させる電気制御回路を設けること(前者)、あるいは、冷媒圧縮機の停止中はヒータで油温を保つと共に、起動前に油ポンプを駆動して潤滑を行うこと(後者)であつて、本願発明のように冷媒圧縮機自体の回転速度の制御によつて前記弊害を解決するとの技術的課題は示唆すらされていないのであるから、本願発明の技術的課題に新規性はないとする被告の主張は失当というべきである。
5 また、本願発明が採用している冷媒圧縮機の起動制御がシーケンス制御に属するものであり、引用例に記載されている(モータが低周波数における定格運転に達した後の)周波数と電圧とを徐々に上昇させて所望の運転速度を得る制御がフイードバツク制御に属するものと考えられることは被告も認めるところである。しかしながら、冷凍機の起動時に冷媒圧縮機摺動部の潤滑を良好にするとの本願発明の技術的課題を解決する手段として冷媒圧縮機の回転速度をシーケンス制御すること及びフイードバツク制御することが本件出願前に公知であつたことを認めるに足りる証拠がない以上、いずれの制御方法を採用するかは設計事項にすぎないとする被告の主張も失当であるといわざるを得ない。
6 以上のように、本願発明と引用例記載の技術的事項は、採用している構成の核心が相違するのみならず、それぞれの技術的課題とするところが一致しない。したがつて、本願発明は引用例記載の技術的事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決の認定及び判断は合理的根拠を欠くものであるから、違法なものとして取消しを免れない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は正当であるからこれを認容することとする。
〔編注1〕本願発明の要旨は左のとおりである。
冷媒圧縮機、凝縮器、減圧膨脹器及び蒸発器を環状に接続して、冷媒回路を構成し、
被冷却物質の温度若しくは湿度、又は冷媒の圧力を検知する検知器と、
前記検知器によつて検知した値と設定値との差に基づく信号を出力する検出器と、
圧縮機の回転速度を決定する信号を複数個有し、これらの信号を、前記冷媒圧縮機の起動時から所定時間内に、回転速度の低い順に出力する起動制御回路と、
前記検出器の信号を入力し、この信号に対応した回転速度信号を出力すると共に、前記起動制御回路からの信号を入力して、前記検出器の信号に優先して前記起動制御回路からの信号に基づく回転速度信号を出力する速度信号部とを備えた、冷凍機の制御装置(別紙図面一参照)
〔編注2〕本件における図面は左のとおりである。
別紙図面一
<省略>
<省略>
<省略>
別紙図面二
<省略>